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「いつかきっと・・・」という期待

【臨時休業のお知らせ】
10月25日(水)~11月1日(水)(予定)、家庭の事情によりお休みを頂戴します。
お客様にはご不便をおかけしますが、何とぞよろしくお願いいたします。

成人し親元を離れ自立しても、家庭を持った後でも、あるいは “お爺さんお婆さん”と呼ばれる年齢になっても・・・
自分の親にかけられた呪いを解くのは難しいものだし、子どもだった自分の「欲しい」は無くならないものだと、日々、お客様とお話ししていて思います。
今月は特に、親御さんとの対決や訣別に関するご相談が多かったです。

それは誰から教わったことなのでしょう。前提にしている それ って、真実なんでしょうか?
とか、
当時そんなふうで、今でもそんなことを言うあなたのお母さんが、これから変わってくれる、いつかは理解・共感してくれるようになると、本当に思いますか?
とか・・・
そういう私の問いかけに、それは・・・と答えに詰まり、でも・・・、でも・・・と続けようとする人の思いは、とても切ないです。かつての私も、そうやって散々、あの手この手で親に対して何かを仕掛けてみたり、期待して落胆して、懲りずにまた働きかけて・・・ということを繰り返しながら、なが~い間、”待っていた” から、身につまされるのです。

欲しいんですよね。
大人の自分は「もう諦めてる」と言う、本当にそう思うのに、心の中にいる “子どもの私” が、欲しいと言う・・・。
その辺が分からないと、もやもやザワザワすることについて “合理化” しなくちゃならなくなるから、また拗れてしまいますが、
親のことで何らかの不快な思いをしたり困ったりしている(なかなか解決できない)というなら、それは「私(子どもの私)が今も、親の寄り添いや理解や温かな愛情を、欲しがっている」ということになるでしょう。

でも・・・
残念だけれど、その「欲しい」はおそらく、当の親御さんによって満たされることは二度とはないでしょう。
いつか・・・、いつか・・・、というファンタジーとは、お別れしなくてはならないでしょう。
ああかもしれない、こうかもしれない、とやっているうちに、人生の残り時間はどんどん減っていきます。
だから、別の視点を持つことや、自分の力で満ち足りた人になる努力をすることで、親のことはちゃんと諦めなくちゃならないと思います。

大変なことだと思うのですが、あなたが自分自身なり出会う誰かなりの力を使って、癒されて、元気になって、親より大人になることを目指してほしいと思います。
それを成した後には、自分の物語も、親の物語も、俯瞰で眺めることができるようになります、温かい気持ちで、敬意をもって。

「親に対してそんなことを思ったりやったりするなんて、そんな冷たい人間になりたくない」
「罪悪感でいっぱいになってしまう」
「親に近づくたびに、感情的な反応をされて、根負けしてしまう」
「親にはいろいろとしてもらって感謝しているのに、そんな親を未熟認定するなんて、自分がイヤになる」
「老いてきた親のことが心配だ。幸せでいてほしいのに・・・」

これらはどれも、親御さんとの関係を見つめ直そうとし始めた人から聞くことになる、とても典型的な言葉です。
他人の話として見たら、これらがどれも「愛」からではなく「怖れ」からの思いだと、分かると思います。

そう。いろいろと「怖い」ものなんです。
「自分も悪い」とか「親は一生懸命やってくれた」とか「親は苦労続きの可哀相な人生を送ってきた」とか「孝行しなかったら罰が当たる気がする」とか・・・
そんなふうに思うのは、親とのことを解決して越えていくことへの「怖さ」ゆえなのです。

でも、怖くても、囚われているものから自由になって、真に強くて優しい人になって、「こういう心境ってあるんだなぁ」「ほんとの〈私〉で生きるのって、いいものだなぁ」を、ぜひ味わってほしいと思います。

明日からお休みさせていただき来月以降の営業再開になってしまいますが、対面でもオンラインでもメールでも、ぜひご相談ください。お待ちしています。

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