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Anyway the wind blows… 『ボヘミアン・ラプソディ』

公開から ひと月経っていますが、先週末、『ボヘミアン・ラプソディ』 観てきました。

私は高校生の時に彼らの音楽に出会った「ファン歴40年の人」なのですが(今でも車の運転中に最もかける曲はクイーンのアルバムです)、
映画の公開前、トレーラーを見た時に、「どうなんだろうなぁ・・・、なんだかなぁ・・・」「大好きだからこそ観ない…ってこともあるよね・・・」などと思ってしまったので、出遅れましたあせる

・・・・・・でも、観てよかったです。

「ラスト21分は圧巻」と聞いていましたが、私ときたら、上映開始すぐから血流、心拍に異変が起こり、自分でも「ノッケから泣くとか…はやいはやい…!」と堪えようとしたのですが・・・、結局しょっぱなから泣きました。 あんなシーンから始まるなんて、聞いてない・・・笑

この映画は、公開から日を追うごとに観客を増やしている・・・という異例の事態、と聞いていましたが、私が観に行った劇場も、平日の昼間だというのになかなかの混雑でした。

私と同世代の年季入りのファンだろうなという人から若い世代の人まで来ていましたが、なかなかの熱狂を感じました。

前の席の還暦前後と思しきおじさん、身体動いちゃってたなぁ、たぶんずっと歌ってた(笑)。わかるー爆  笑

この映画は、伝説の、クイーンのボーカル、1991年に他界したフレディ・マーキュリーのお話で、彼が無名のバンドに加入するところから、20世紀最大のチャリティー音楽イベント「ライヴ・エイド」の舞台に立つまでが描かれています。

クイーンのあゆみ、また、垣間見えるフレディの孤独、壮絶な苦悩が、実物の音源を使ったヒットナンバーの数々とともに描き出されていたのですが、この作品には、フレディへの『愛』が込められているなぁと思いました。

まず音楽総指揮を、メンバーのブライアン・メイとロジャー・テイラーが務めたと知り納得しましたし、フレディの才能や人柄、趣味、それから、出身、人種、容姿などに対するコンプレックス(彼はタンザニアの離島ザンジバルで生まれたペルシャ系インド人なんですね)、セクシャリティーのこと、家族のこと、そして苦悩や孤独…というものの描き方に、彼への愛を感じました。

フレディを演じたラミ・マレックは素晴らしくて、フレディに見えてくるほどでしたが、あれは、容貌や動きを「よく似せた」などというレベルのものではなかったです。

彼がインタビューで「演じるにあたり、僕は僕自身である必要があった。フレディをこの地に呼び起さねばならなかったから」と言っているのをテレビで見ましたが、映画を観ていて、ああなるほど、フレディに “降りて来てもらった” ようだ、と思いました。

ライヴ・エイドのシーンには胸を熱くしたどころではなかったです。まさに圧巻でした。
日頃安易に使われる「カリスマ」という言葉ですが、あのシーンを見て改めて、彼らは本当にカリスマだなぁと思いました。

彼らのパフォーマンスから伝わってくるメッセージ・・・「みんな自分のやりたいことをしよう。自分がなりたいものであれ。誰かが何か言ったって気にするな」「自由に生きよう」・・・に、多くの人が揺さぶられ、元気づけられ、鼓舞されたことと思います。

『We are The Champions』・・・、今回改めて聴いて、この歌は人間賛歌だったのだなぁ、俺たちはチャンピオンだぜと謳っているのではなく・・・、そう思い、
さらに、「ああ、この映画のタイトルを『ボヘミアン・ラプソディ』にしたのは、そういうわけか・・・」と、勝手に得心して泣きました。(「ボヘミアン」・・・世の慣習、常識に囚われずに自由に生きる人たちのことを言いますね。)

私はこれからも、自分は自分でいよう、己の道を自由に行こう。

「Anyway the wind blows・・・」(『ボヘミアン・ラプソディ』の歌詞) です 葉っぱ

 

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