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別れのあと

きょう、娘と孫が引越していきました。
娘はあとひと月半で第2子の出産を控えていますし、旦那さんの帰国も6月・・・と まだ先なので、私は内心(なんでまた、いま引越していって母子2人+おなかの赤ちゃんで、暮らさなくちゃいけないのさ…、ここ実家に居ればいいじゃないの?)と思いながら、引越しと新居での生活に関する諸々の手伝いを進めてきました。

で、きょう、業者が来て荷物を運び、娘と孫も新居に移ったのですが、1年弱滞在していた2人が出て行った我が家は、ガランとして静かで、ああ、毎日毎日、活発な孫の走り回る音や大きな声や、「抱っこして」「絵本を読んで」「お散歩に行こう」の要求があったけど、それが無いというのは寂しいものだなぁ・・・と、ちょっと気の抜けた感じになっています。

そして、これまでの人生にあった、親しい大事な人との、いくつかの離別と死別を想いました。
今回は、娘と孫が家から居なくなったとは言っても、越していった先は近くですし、そもそも明日も明後日も訪問しますから「別れ」でもなんでもないんですけれどね。
でも私は、大事に思う人と関係できている状態って、永遠ではなくて、何かの事情で途絶えてしまったり失われてしまうものだ、ということを、繰り返し思うことにしているんです。
特に、たとえば相手の看病生活が長引いて うんざりしてきたとか、喧嘩をして もう絶交で構わない、と思ったとか・・・そんなことがあったとして、関係が しんどいな、疲れたな、と思って、そして、優しくできなくなっているなと気づいたときに、「もしこれで、この関係が失われるとしても、悔いはないのか?」「もっと やれることはないのか?」と自問するんです。「永遠だと思っちゃだめだよ」とも言います、自分に。

今回の娘と孫との暮らしも、もちろん嫌だと思う気持ちは微塵もありませんでしたが、ときどき「毎日毎日、くたくたになるなぁ」「娘よ、どうして毎晩、私が食事を作ることを当たり前に思っているのだ?」と思うことがあって、その度に、この暮らしも ずっとではなくて期間限定、春には終わるのだから頑張ろう、自分の最善を差し出そう、と思い直して頑張っていたつもりでした。
でも、今日こうして ガランとした部屋にポツリと座っていると、”もう二度とない幸せな日々” が終わってしまった、もっと、ああしてやりたかったな、あんなふうにしかできなくて申し訳なかったな・・・と、自分の力不足を思い、ほんのりと後悔や反省がやってくるんですね。

ほんとに「ベストを尽くす」は難しくて、特に、肉体的な疲労というのはどうしようもないのですが、もうちょっとエネルギッシュな人でありたいもんだなぁと思います。

みなさんはどうでしょうか。大事な人と会えなくなってしまった経験の中に、そんな後悔や反省の含まれるものは、ありますか?

 

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