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キヨミちゃんから教わったこと

私たちは、生きている限り「〇〇が欲しい」「〇〇を叶えたい」と思うものです。何もなくなったら、それはもう、命を閉じていく方向なわけで・・・。
だから、大いに欲しがりたいもの、です。

でも、たとえば、
よりよい仕事が見つかれば幸せになれるはず、
愛し合えるパートナーがいれば幸せになれるはず、
もっとお金があれば幸せになれるはず、
というふうに、「〇〇があれば幸せになれる(いまはまだ、〇〇がないから幸せではない)」と考えるなら、その人は、”ずっと幸せ” でいるのは難しでしょう。
逆に、「昔は〇〇があったから幸せだった(いまはもう、〇〇がないから幸せではない)」と考えるのも同じです。

何かが叶ったり叶わなかったりすることで、幸せになったり不幸になったりする、という考えとは、できればサヨナラしましょう。

幸せって、いま・ここ にしかなくて、どうであれ条件を付けずに、いま・ここにある自分 を幸せだなぁと感じられる心を持っているかどうか…なのだと思います。何にも依存せず、どんな状況であっても幸せや感謝を出来るだけたくさん見つけられる自分になることなのだと思います。なんだか ふわっとした言い方で 分かりにくいかもしれませんが・・・。

私には中学時代、キヨミちゃんという友達がいました。特殊学級に通っていた子だったので一緒のクラスで勉強した…ということはなかったのですが、なぜか私はキヨミちゃんに発見されて懐かれて、いつからか毎朝、一緒に登校するようになりました、キヨミちゃんに強引に手を繋がれて・・・(苦笑)

そのキヨミちゃん、知能という点では普通学級に通う私たちより劣っていたかもしれませんが、感覚、感性が独特で、とにかく心が清らかで美しい子でした。この子は何を見て何を感じてるんだろう…すごいな…と思うことが度々あって、私はすごく敬意をもっていたように思います。

いろいろ教わることが多かったのですが、なんといってもキヨミちゃん、”いつも幸せ” でした。いつもニコニコしてました。

手を繋いで学校行くの楽しいね!
サクラの花びらいっぱい集められて嬉しいね!
おばあちゃんが作ってくれた巾着袋、ネコの刺繍がついてるんだよ!
〇〇くん、ふんわりボール投げてくれて、優しいんだよ!
日なたから日陰に移ると、空気がスンって変わって面白いね!

え・・・、そんなことが・・・? と当時の私は困惑したものでしたが、中学生だった私にも、キヨミちゃんって人には嬉しいと楽しいがいっぱいあって、美しいものに気づいて反応する力が高くて、そしてその、綺麗だね!や嬉しいね!にはいつも、感謝の気持ちが一緒にあったということが分かるのでした。

幸いにも私は、キヨミちゃんのおかげで、14歳にして「幸せって、過去や未来じゃなくて その時その場所にあることを感じるもので、そしてその幸せは、ありがたいなぁという思いとセットになってるものなんだなぁ」ということを学んだんですね。今思うと、すごく尊いな。

今朝目覚めてカーテンを開けたら雪が積もっていて、で、うっすらと陽が射していたのですが、そしたらなぜか突然、キヨミちゃんのこと、思い出したのでした。
雪が止んだ翌日の登校は私にとって、革靴が汚れちゃうな、とか、あぁ今日の部活は外でやるのかな…とか、憂鬱なものでしたが、キヨミちゃんは「雪のとこ、靴で踏むとジュポッジュポッっていうよー」「枝についてる雪、まぁるくて可愛いね!」「雪、キラキラ光って綺麗だねー」というふう、すごく楽しそうでした。全然学校に近づかなくて焦ったりもしましたが、でも全身で嬉しがるキヨミちゃんは、まさに、いま・ここ で幸せを感じ取っていて、最強に幸せなんだな、と思ったものでした。

そう、やっぱり幸せって、いま・ここ にあるものを100%の自分で味わって、そして、嬉しいなぁありがたいなぁと思える心を持っているかどうか、なのだと思います。
無いもの、欲しいもの、それはそれ。幸せの条件にしない、ということですね。

 

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