天童荒太氏の小説に『永遠の仔』という作品があります。
児童虐待を受け養護施設で育った3人の主人公(女の子1人、男の子2人)、大人になり看護師、刑事、弁護士になった3人は再会するのですが、それ以降、それぞれが抱えて来たトラウマゆえの問題が起こり事件が起こっていく・・・。
過去と現在を交互に描いていく形の物語ですが、出版された1999年の翌年、2000年にはテレビドラマ化されました。
それこそ貪るようにして読んだこの小説には、本当に衝撃を受けました。
当時は今ほど親からの虐待というものの存在が知られておらず理解もされにくかったので、私を含め「親から受けた心身への傷」に苦しんでいた人たち、またはそれに気づきかけていた人たちにとっては、
この痛みは痛みとして感じてもよいのだ、ということや、そしてそれは癒されない限り “永遠の” ものになるのだ、ということを教えてくれる作品だったかと思います。
私はテレビドラマの方も毎週欠かさず観て、録画したものをまた観て・・・と熱心でした。
主人公3人は、中谷美紀さん、椎名桔平さん、渡部篤郎さんという、力のある俳優さんが演じていました。
毎話、重い内容に辛くなることもありましたが、救いを求めるような思いで観ていたように思います。
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昨日、お客様とこの『永遠の仔』のお話になりました。
そのお客様は私と同世代で、私と同じように虐待のある家庭で育ち、今は認知症を発症したお母様と暮らしている・・・という点も同じ、いろいろと共通点のある方なのですが、
昔 自分に母親らしいことをしてくれなかった母親が今は認知症になって子どものようになってきて・・・ということに接することで生まれる感情にも、共感するところがたくさんあります。
今さらどこにも持って行き場のない怒りや悲しみは、どうしたらいいのだろう・・・というお話のときに、ドラマの『永遠の仔』の話になりました。ご存じですか?と言われ、観てましたよ!と。
主人公の1人である弁護士の笙一郎(ドラマでは渡部篤郎さん演)は、かつて母親の育児放棄に遭っていました。父親は生まれた時から不在。
その母親を大人になって引き取ったときには母親(50歳くらい)は既に認知症になっていて、息子である自分のこともわからない状態だったので病院へ入れるのですが、
自分のことを(息子なのに)”お父ちゃん” と呼び、ベッドで無邪気にすやすやと眠る母親を眺めながら、笙一郎がこんなことを言うシーンがあるのです。
俺に、許してくれとも言わないうちに、こんなになっちゃって・・・。
悪い母親だった、ごめんよって、言ってくれよ。
よくやった、おまえはよくやったって、どうして褒めてくれないんだ?
ひどいよ・・・
(じつは、お客様と話した日、気になってDVDを引っ張り出してそのシーンを探し再生してみたのです(笑)が、改めて見ても、あれは堪らないシーンでした。笙一郎は「お母ちゃん、なにもかも、遅いよ」と言って泣いていて・・・。)
やはりこのシーンが印象的だった、今の自分の気持ちと重なる、というお客様と、しばし語り合いました。
認知症になって母親らしくなくなってしまった母親の世話をしていると、あの笙一郎のセリフのような気持ちが込み上げることもありますね・・・、子どもの頃に “未回収” だった部分を今になって取り戻そうと思っても、それは無理なんだと思い知らされる日々には、やはりやりきれない哀しみが込み上げるときがありますね・・・、と。
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小説『永遠の仔』・・・また読みたいと思いつつ、あの登場人物たちの愛おしい、壮絶な人生を描いた長編小説はやはり、まとまった時間と体力がないことには読めない・・・と思い、その背表紙だけはときどき書棚の中で視界に入ることはありましたが、20年間手に取れずにいました。
でも、数百冊の本を処分した昨年、これは残したいと思って棚に収め直した本です。近いうちに読もうと思っています。
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