NHKの『事件の涙』という番組で、1986年に起きた「葬式ごっこ事件(中野富士見中学いじめ自殺事件)」を扱っているのを見ました。
当時私は社会人になってOLをしていましたが、中学校でいじめを苦にした男子生徒が自殺を図った、と報道で知り、なんとそれは、担任教師も一緒になって、クラスに居る生徒を死んだことにしてその子の机に花や線香を供え色紙に別れの言葉を寄せ書きをした、などということがあった、というので、私はもうショックでショックで、いったいどういうことなんだろう・・・と、暫くのあいだ熱心に報道を追っていたものでした。
あれから35年、元同級生が沈黙を破り真相を告白した・・・、ということだったので視聴してみたのですが・・・
あぁ、やはりそうか…というのが感想でした。
当時のクラスメイトで連絡が取れたのは16名で、二人を除いては「思い出したくない」「そっとしておいて」「幸せな家庭を壊すな」「忘れてた」などということで取材は拒否、とのことだったというからです。
「忘れてた」とは・・・?
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「忘れてた」という元クラスメイトが言ったという言葉を聞いて、『青い鳥』という映画を思い出しました。重松清さん原作、阿部寛さんが重い吃音のある国語教師を演じた作品です。
いじめによる生徒の自殺未遂事件の起きた中学校に、臨時教員としてやってきた教師・村内先生。
村内先生は、いじめのあったクラスの担任になりますが、いじめられ自殺未遂を図り転校していった生徒・野口くんの、片付けられてしまっていた机と椅子を、教室に戻させます。
そして毎朝、その野口くんの机に向かって「野口くん、おはよう」と声を掛けます。
本当は仲が良かったのに、つい自分もいじめに加担してしまった、と言いつつ、内心は罪の意識に苦しんでいた生徒・園部くんが、村内先生に訊きます。
「どうして先生は居ない野口の椅子に声を掛けるんですか?」
そう訊く園部くんに、村内先生は、
「だって野口くんは本当はここに居たかったんだ。ほんとはみんなと一緒に居たかったのに居られなくなった。だから先生は野口くんの名前を呼んでやるんだ」
「みんなは野口くんを踏みにじって、彼の苦しみに気づかないほど、彼を軽くしか見ていなかった」とも。
でも、もう野口くんは居ないし本人はわからないんだから、毎朝の野口くんの机に向かっての声掛けは「僕たちへの罰ですか?」と言う園部くんに先生は、違う、罰なんかじゃない、と言います。
みんなだけ後悔して反省して一からやり直すなんて、卑怯だ、野口くんはもうやり直せないんだから、と。
「野口くんはみんなのことを忘れない。恨むのか憎むのか許すのか知らないけど、一生みんなのことを忘れない。一生忘れられないような酷いことを、みんなは野口くんにしたんだ。だから、みんなが野口くんを忘れるのは卑怯だろ」
「野口くんのこと、忘れちゃだめだ」
静かに、そう言う村内先生の言葉、沁みました。ほんとだなぁ…と思いました。
学校も親も、子どもたちに(反省文なんかを書かせるかもしれないけど)早く忘れさせよう、何もなかったような平穏さを取り戻させてやろう、などと間違った働きかけを、とかくするものですが・・・。
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今回の『事件の涙』で、取材に応じていた二人のうち、お一人は本当に “引きずって” いた。初めは、自殺した少年と仲良くしていたんですね。
もうお一人については、(自分は直接の加害者ではないとはいえ)他人事で、なんとも軽くて、あぁ、そういう感じなのか・・・、今はお子さんを持つお父さんだそうだけれど、35年間、そのことはそんな感じのまま心の隅っこに置かれていて(置いておいたというふうですらなくて)、懐かしいなぁ…のような語り方になってしまうのか・・・と思いました。
私がそのクラスにいたとしたら、どんなふうなんだろう。
あなたがそのクラスにいたとしたら、35年間、どうですか? 今、どうですか?
「そっとしておいて」と取材拒否しますか?
「忘れていた」かもしれないですか?
信じられないけれど、すごく恐ろしくも思うけど、「いろんな人がいる」ということですね。
子どもの時から、わかってる人も、いる。
何かをきっかけに、気がついて、感じて、考えて、大きく変わる人も、いる。
一生、わからない人も、いる。
そういうことですね。
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