突然ですが、
ちょっと想像してみてください。
帰宅したら、家族がテレビを見ていました。
画面を見ると、オオカミがうさぎを追いかけている映像が映っています。
小さくてモフモフで愛らしいうさぎと、大きくて獰猛そうなオオカミ…。
逃げ切れ、うさぎ!
・・・と、次の瞬間、うさぎに追いついたオオカミは、うさぎの首元にガブリと噛みついて、うさぎを仕留めます。残酷な流血シーン。
はぁ・・・自然界は厳しい。うさぎ、可哀相に…。
でもこの動画はじつは、家族が、オオカミのドキュメンタリー番組を録画したものを見ていたもので、流血シーンは途中の1シーン。初めから見てみると、一匹の雄オオカミが雌に出会い恋をして夫婦になり、愛らしい子どもが生まれてくる・・・という微笑ましいシーンが収められていました。
続けて見ていきます。
順調に育ち生肉を食べられるほどになった子どもたちのために、親オオカミは狩りに出ますが、空振りの日が続きます。
初めはお腹を空いたと鳴いていた子どもオオカミたちも、次第に鳴く元気もなくなり、ぐったりです。もう何日も もたないかもしれません。
親オオカミだって空腹でヨロヨロしています。
それでも親オオカミは 力を振り絞って狩りに出かけ、やっとのことで うさぎを見つけて追いかけて仕留め、子どもたちに、獲物を持ち帰ってやることができました(初めに見かけたのはこの部分でした)。
何日も何も食べずにいた子どもたちは、久しぶりの食べ物にありつき、命を繋ぐことができました・・・。
・・・となれば、どうでしょう。
多くの人は「あぁよかった(^-^)」と思うのではないでしょうか、モフモフの可愛いうさぎが可哀相だ!とかオオカミひどい!とか思うよりも・・・。
同じシーンでも、うさぎサイド、オオカミサイド、どちらから見るかで抱く気持ちが異なるわけですね。そういうものです。
***
人は、ものごとを片方のサイドから見ることができないときに、ストレス、苦しみを感じることになるものです。
あなたの感じる感情は、あなたサイドから、あなたの中から、湧いて来るものでしかありません。
「別の側から見たら『現実』は違う」ということです。
反対側、別のサイドに立ってみるためには、自分サイドとそれとの間に立ちはだかっている〈壁〉を、低くして越える必要があります。
自分をそこに縛っている、自分が固く握りしめている「思い込み」「考え」を、手放す必要があります。それが難しいというなら、どうして難しく感じるのかを考えてみるとよいです。
無限にある側面。それをひとつでも多く体験して成長していくことが、私たちが生きている理由のひとつだし、じつは(無意識かもしれないけれど)、生きていく中で味わえる喜びなんだと、私は思います。
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