BLOG

希望をつなぎ、生きていってくれたらそれでいい

NHKのドラマ『透明なゆりかご』を録画して観ています。

町の小さな産婦人科医院を舞台に、そこでアルバイトをしているひとりの少女・アオイ(高校の准看護学科に通っている17歳)の目線で、“命とは何か” を考えてゆくお話、全10話です。

昨晩観た6話。アオイはハルミと名乗る不良っぽい少女に「山奥にある古い家」に同行を頼まれ、ついていきます。

ハルミは妊娠しており、そこへ行けば「格安で簡単に中絶してくれる」、自分は2度目だ、と。
アオイは初め、ハルミにも、その 山奥の家で中絶手術を提供している老夫婦(医師と看護師)にも、怒りを表します。
産めないのに子ども つくって無責任じゃないか、と。
名前も聞かず費用も安いとなったら、罪悪感なく中絶する人が増えるんじゃないか、と。

でも、老医師は、「あの台に上がって、できちゃったらまた堕ろせばいいやなんて人は、私はいないと思うよ」と穏やかに言います。
奥さんも、「もう少し女の人が生きやすい世の中になるといいんだけどねぇ…」

ハルミも帰り道、アオイに語ります。
普通は堕胎しに行ったら、お説教する。こっちはダメなことしてるってわかってるのに…。
でもあの老夫婦は、ひと言も責めない、説教しない。
「なんかあったらまたおいで」と言うんだ、と…。

老夫婦は今では何も聞かず説教もせずに手術してあげていますが、昔、そうせずに返した女学生が帰り道に命を絶った…という重い経験をしていたことが後のシーンでさり気なく描かれていました。なるほど…

この『透明なゆりかご』には毎回、望まれて生まれてきた子も、一見望まれなかった子も、そして生まれなかった子も出てきます。

とてもセンシティブな内容を扱っている物語ですが、
命の重さはみんな等しい、ということを体感していくアオイは瑞々しくて眩しく、
一生懸命に生きている人の心を理解しよう、寄り添おうとする姿には、とても打たれます。

 

今回第6話のタイトル『いつか望んだときに』に、ちょっと思いました。

たとえば、「中絶はいけない」。
たとえば、「リストカットはいけない」。
たとえば、「学校に行かずに家でダラクサしてるのはいけない」。

それはそうかもしれない。
それをせずに済めばいいかもしれない。

でも、そうすることで、なんとか生きていられるのかもしれない、ということ。
それをしなければ生きていられないと感じるくらい辛いのだということ。

行動を注意したり非難したり阻止しようとしても意味はない。
援助できる立場の人は、”問題な行動”をする子の行動の裏にある事情や気持ちのほうを見て、そちらに優しく働きかけてあげたい。
「正しいこと」を言っても救えないです。

まずは、希望をつなぎ、生きていってくれたらそれでいい、と考えたほうがいい。

そいうときって、あります。
「いつか…」でいいです。

誰だって精一杯生きていますお花

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP