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察してくれない相手

先月に入ってから、親しい相手、大切な相手とのコミュニケーションの問題についてのご相談が、いくつか続けてありました。
私のお客様は大抵、繊細で敏感で察しの良いかたですから、相手の言わんとしていること、相手の気持ちは、相手がたくさんの言葉をもって伝えてこなくても、容易に理解することができる、それにひきかえ相手ときたら・・・というものです。

べつに、相手に対して 自分ほどの察しの良さを期待しているわけではないのですよね。それは無理、と分かっている。
それでも、「もう少し理解しようとしてくれてもいいんじゃないか」と不満に感じたり、「違う違う、そうじゃないよ、勘違いしてるよ、分かったつもりにならないでよ」と腹が立ったり・・・、そういうことはあるでしょうね。

誰かと長く付き合って、親密になって、互いが特別な関係になると確かに、言わなくても分かり合えている、という実感を得ることは増えて、そこからの信頼というのは嬉しいものです。

でもやっぱり、慣れてくると人というのは相手に対して怠けてしまったり油断したり・・・、いつの間にか、気を使わなくなった相手のことは、いつだって大抵、分かっている気になって、つい粗末にしてしまうことってあるんだと思います。
それってじつは、相手にもそうだけど、自分にもやってることです。

そして、これは私が、自分の夫や娘婿を含めた何人かの人(とっても善良な人で悪気は全くないんだけど、とにかく “人の心を理解するのが苦手な人” )と付き合ってきて、あきらめの気持ちというか寛大な気持ちをもって受け入れた経験から確信したことなのですが、頭脳に依らず、心がけや努力に関わらず、どぉぉぉしても人の気持ちを想像するのが難しい、という仕様になっている人って、いるんですよね。

それを理解しておくのって、ひとつ大事かな、と思っています。あぁ、この人はこの程度が限界なんだな、と。
そのうえで、できるだけ丁寧に、相手が受け止められるような表現で、自分はこう感じるんだよ、自分はこうされると嬉しいんだよ/悲しいんだよ、と説明して、し続けて、自分自身が納得がいくようにできたらそれでいいと思います。

それでも無理だなぁと思うようだったら、心だけは すっと離れて、自分の孤独や、自分の理解されたさ、大切にされたい気持ちを見ていく、というのがいいかと思います。寂しさは放置しないこと、ですね。

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