BLOG

「ただ生きる・生命として地上にあること」 ~『猫だましい』ハルノ宵子

なんだろう、読み終えて10日ほど経つのですが、じわじわ来ています。
じわじわ、力が漲ってきています。

半月ほど前に書店で見かけて「あっ!これっ!」と思って買った本、『猫だましい』。

※私、書店を歩いていると、たくさんの本の中で一冊だけが ひときわ輝いて見える(ほんとに物理的に輝いているように見える)・・・ということが時々あって、それはもう「買って読むがよい」という “お告げ” のようなものだと分かっているので 必ず買うことにしているのですが、この本も眩しく光って見えました。

この帯にコメントされている作家の方々のお名前も、なんと豪華なこと・・・!

序盤は惹き込まれて貪るように・・・、そして終盤は読み終えるのが惜しくなって 敢えて読むスピードを下げて読みました。

ハルノ宵子さん。かの吉本隆明氏の娘さん、吉本ばななさんのお姉様。
漫画家でいらっしゃるというのは ばななさんのエッセイか何かで読んで存じ上げていましたが、これほど面白い文章を書くエッセイストでもあったとは・・・! 強く 吉本家のDNA というものを感じました。

内容は、ご自身の闘病のこと、ご両親の介護と看取りのお話、そして猫たちとの暮らし、出会いと別れについてなのですが、読み進めるにつれ、「もともと、私はどうしたかったのだっけ?どうありたいのだっけ?」という自問が始まり、私自身の中ですっかり錆びついたようになって働かなくなっていた部分が、刺激を受けてちょっとずつ目を覚ますようなかんじが増していきました。

こんなふうに、自分に訊いて、自分の体の真の望みを当たり前に理解していて、そしてそれを叶えることが自然なことで、その時その時、ただそこに生きている、という人は いいなぁ。こんなふうにあるということは、とても難しいから憧れてしまう。

軸のぶれなさ、というのかな、拠り所、立脚点が自分の中にあることの確かさが、何より素晴らしいと思いました。

繊細に違いないのだけれど豪快でキッパリで、慈愛に満ちている。
ああ、そんな人になっていきたい。

私ももう ひとこえ(?)いってみようかしら、とも思いました。
知ってるもんは知ってるんだ、嫌なもんは嫌なんだ、私はこうしたいんだ、と、これまで引っ込めてたこと、露わにして生きてみようかな。
暮らしの枠、人生の枠・・・、私のそれはきっと、普通の人よりは大きめに作っているとは思うけれど(相当ふざけたことをやってきました)、でもまだまだ取り払えるはず・・・。

と、そんなふうに思って勇気が湧いてきました。
冒頭の「じわじわ来ています」は、そういうことです。

最後の「足元の神」(足元の神というのは、宵子さんの足元で眠っている愛猫カツオくん)というタイトルのついた文章の中に、
「犬も猫も野生動物も虫も、そして幼くして死んだ子供も、不純物はなくただ生きる・生命として地上にあることーーを全うするのだから、皆尊い。それを失った者が、生まれて死んだ意味を見出そうと、一生懸命考える。短い生は、そこに立ち上がる。」
とありました。

もう、本を抱きしめて、ありがとうございます!でした。
いま出会えて本当によかった。そう思える本でした。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP