もしかしたら、私が相談室で最も多く聞かせていただくお話ですが・・・
「親に対して抱いている怒りや恨み、憎しみ」そして、そんな感情を持っていることの苦しさや罪悪感。
今週も何人かの方と、そういうお話になりましたので、過去に何度も書いていることですが、久しぶりに「親に対する古い感情、強い怒り」について、書きたいと思います。
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親への怒りといっても人によって、様々な形、強さがあります。
そして、癒しのプロセスには様々な段階があります。
相談室ではその様々な段階のどこにいる方のお話なのかを、まず聴き取らせてもらって、どういう働きかけが適当かを考えます。
まずは「気づく」段階。
たとえば、何か読み物とか誰かとの出会いとかで、自分の中にある親への怒りに気づいて、それをきっかけに感情的に辛くなってしまったり狼狽えてしまったりして、相談して来られる・・・というケースがあります。
「気づく」ところまで行かれる人も、世の中を見回せば多くはないです。「親に怒る」「恨む」など、”してよいことではない” というのが常識でしょうし、人は気づきたくないものには気づかないよう強く巧妙に制限を掛けているものだからです。一生気づかず、その怒りは他の形で出して(あるいは出せず抑圧したまま)人生を終える人も多いことと思います。
でも、「気づく」のは癒されて健やかに成長していくための大きな第一歩、とりあえず怯まずに歓迎してほしいと思います。何度も言っていますが、罪悪感は不要です。
恨む、憎む、責める、裁く・・・というところが目的ではなく、それらの感情は、自分が信の自分として幸せになっていくために扱うだけだからです。
それから次の段階。
気づいた後の「しっかり感じる」段階。
実はこれもまた難しくて、多くの人は、忌まわしい出来事を事実としては淡々と(他人の話のように)語ることはできても、そこに 古い感情(当時感じそびれて抑圧してしまった感情)を “ありありと” “しっかり” 感じる・・・ということができません。
これは、意味がないと感じて気が乗らないというより、無意識に回避、否認したいと思っていることが多いです。
溜め込んできた自分の怒りなんて、何か凄そうで、見るの怖いですからね。
疲れてしまいそうだし、どうにもならない哀しみが最終的に露わになりそうで、腰、引けてしまいますね。
でも、出来るだけ「感じる」ことです。大人の自分の思考や価値判断を加えずに。
ここのプロセスが、一人では難しいので専門家をサポーターにつけて進めましょう、と常々お伝えしている部分です。
私も過去、何人ものセラピストやヒーラーのお世話になりながら抜けた過程です。長い時間と結構なお金をかけて、いろいろなものを試しながらやってきました。
そして最後は「手放す」段階です。
解放する、手放す、というと いよいよ終盤、な感じがするので、早く!早く!という気にもなるのですが、これは、(ここまでのプロセスもそうですが)一気に完全に、やれるものではありません。
「気づいて→感じて→手放す」「気づいて→感じて→手放す」を何度も根気よく続ける必要があります。
何年間かけて傷ついたのか、幾つの辛い感情体験をしているのかを思えば当たり前だよね、と分かると思います。
この「気づいて→感じて→手放す」ことを十分やって気が済んで、自分の心に平和・穏やかさがやってきたら、そのとき初めて「自分は親を赦せたかな?」と尋ねてみてほしいと思いますが、それも、スッキリ赦せる人などまずいないですから、赦せない、と感じたとしても安心してください。私の心は狭いとか弱いとか汚いとかダメな人間だとか、そんなふうに思わないでください。
やっぱり赦せない、と思うなら、それはそのままに、そっとしておくことです。
自分の人生が、(気に入らなかったり辛かったりしたとしても)進んでいくと、あるとき、太刀打ちできるはずない、と思えていた〈敵〉が、大したことなくなっていたりするからです。
あるいは、いつまでもどうしても ぶり返してしまうなら、触れずにそのまま行けばよいです。
起きれば荒ぶる “寝た子” を無理やり起こすことはないのです。
早いとこ赦してしまえた方が楽だし、なんだかスマートで大人っぽいかんじがする・・・。
そうかもしれないけれど、自分が施したケアが、自分の心にとってまだ不十分だ、ということなのですから、それはそのように受け止めてください。
無理や嘘はよくありません。自分の心に寄り添えていないこと(自分との信頼関係を壊すこと)は してはだめです。
いつか、赦せる日(あるいは赦すとか赦せないとかを「もうどうでもいい」「自分にとってあんまり意味がなくなった」と思える日)が来たらいいなぁ・・・というふうに思っておいてください。
「赦す」のって、意志や気合いで赦すわけじゃないです。
自分が 傷ついている自分の心(インナーチャイルド)をちゃんと助け出して手当てをして、そして仲良しになって、一緒に幸せになっていけたときにやっと、その境地はやってくるのだと思います。
だから、若いうちに解決して越えることができなかった場合は、結果的に「親を赦す作業」はライフワークみたいになるかもしれませんが、それはそれで、「私は、そういう一大事業を進めながら今回の人生をやっていくのだなぁ・・・」と受け止めて、敬意を払って誉めてあげてほしいです。
「冗談じゃない」「こんなハズレくじを引かされるとは散々だ」と思うかもしれませんが、それについても、いつか「なるほどね、そういう初期設定と学習計画を、”自分は” 生まれる時に作ってきたんだな・・・」「すごいな、私」と、納得できる日が来ると思います。
思い立った時は吉日、ベスト・タイミングです。
やれるだけやってみましょう。お手伝いします。
やった分だけ必ず元気になって進化して幸せになっていくことを、信じていてください。
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